私立大卒は軒並み卑怯である。
これが、
私が100名以上の学生へ直接に学習指導をし、
また数多くの社会人と接した上で浮かび上がってきた共通点である。
受験を超えて、人間関係・仕事の取り組みなどを見ても、私立大卒は軒並み卑怯であると感じる。
無論、こんなことを私に言われずとも、
受験生であるあなたであれば、とっくにご存知であろう。
どんな人間が私立大学を志望しているだろうか。
そう。逃げた人間である。
高校入学当初は国立理系に行きたいと言いながら、
半年後にはやれ数学が苦手だ、物理が苦手だなどと言い、それらの勉強をしなくてよい私立文系を選択する。
理科を2科目も勉強する気概もなく私立理系を選択する。
そういう瞬間を幾度となく目にしてきた。
そういう決断をする人間は何故か、
自分を目標に近づけるための努力はせず、
目標を自分に近づけるために楽な道を選択するのである。
既に卑怯の片鱗が現れている。
翻って、国公立大志望者であれば、
文系であろうが理系であろうが5教科7科目の勉強が必要である。
彼らは苦手であろうと学ぶ。
わからなくても考える。
困難から逃げることなく、自らを高めることができる人間なのである。
大学受験以降の人生において、
学ぶことなどもう無いのだろうか?
困難は生じ無いのだろうか?
自らを高めることは無いのだろうか?
上記の答えが全て「無い」であれば、受験から逃げ切ることも良いだろう。
しかし、そうではない。
少なくともこの文を読んでいるあなたには、そんな人生は待っていない。
逃げることなく、国公立大へ挑んで欲しい。
さらにいうと、国立大に入学して欲しい。
国を代表する人材となって欲しい。
受験勉強でさえ結果が出せないなら、もう何をやっても結果は出せない。
受験勉強など、カンタンなものである。
駅前を見渡せば、あなたに勉強を教えてくれる塾が複数あるはずだ。
書店に入れば、あなたに勉強を教えてくれる書籍が多数あるはずだ。
これがもし、あなたがオペラ歌手を目指しているとしたらどうだろうか。
オペラ歌手になる方法を教えてくれる場・応援してくれる場は、駅前に複数あるだろうか?
書店で、オペラ歌手になる方法を教えてくれる本・応援してくれる本は多数あるだろうか?
この通り、
受験勉強というのは、最も恵まれた環境で行うことなのだ。
これさえ出来ないとなると、他に何が出来るのか?
この恵まれた環境を通して学ぶことは、学習する「内容」ではない。
よく「こんな公式社会に出てから使わない」などという学生がいる。
全くその通りである。
多くの人間にとって、
解の公式や点と直線の距離の公式など、社会に出てからは使わない。
地球1周が4万kmであることなど、日常生活では使わない。
それ自体はどうでも良いのである。
検索すれば瞬間的に手に入る情報など、わざわざ覚える必要はない。
ましてや今の時代は、数学の問題を撮影するだけで解答を教えてくれるアプリまで存在する。
そんな時代に、なぜわざわざ勉強する必要があるのか?
それは、
学習する内容が大切なのではなく、
それを身につけるまでの過程が大切だからだ。
如何にしてあなたは、出来なかったことが出来るようになったのか?
如何にしてあなたは、効率的に学習できたのか?
如何にしてあなたは、目的達成のための計画を立てられたのか?
如何にしてあなたは、それを実行できたのか?
そういった、あなたの「勝ち方」を身につけることにこそ意義があるからだ。
それを一度身につければ、その先の人生で存分に使えば良い。
目標があるのなら、達成すれば良い。
夢があるのなら実現のために使えば良い。
幸せな人生を歩めば良い。
その練習が受験勉強なのである。
そこで逃げるなど、本末転倒である。